Blue Sky Music

制作した音楽作品のご紹介やら雑談やら

13年前の今日とその2日後

3.11 東日本大震災の日

 

私は当時通っていた専門学校を3/7に卒業し、3/11はたまたま実家に帰省していました。

(ちなみに3/7は私の誕生日です。まさか卒業式とかぶるとは大きなサプライズでした🤣🤣)

 

自室でPCをいじっている時に、何だか気持ち悪いと思いました。

その時点では私は、揺れというよりは目が回るような気持ち悪さを感じており、単純にめまいがしたのかと最初は思いました。

少ししてから血相を変えた母が部屋に入ってきて、東北で震度7地震が発生した事を知らされました。

 

私の地元は、太平洋沿いにある港町の苫小牧という所です。

この町が(一応市なんですけど)全国的に知られているのかいないのかあまりよくわからないんですが…

EXILEショーキチさんの出身地、また田中マー君が通っていた高校がある所です。

 

私が帰省している間に、苫小牧にも津波が押し寄せ、港が水没しました。

恐怖でしかありませんでした。

この町の形状は横長で、ざっくり言うと海と山に住宅地が挟まれるような形になっています。

場所によってその距離感は勿論様々なんですが、私の家がある場所はすぐ裏が山で、海からは1キロもあるかないかくらいでしょうか。

海へは、容易に行ける距離です。

いつここまで水が来るのかと、恐ろしい時間を過ごしました。

 

幸いな事に、港付近・海に面している場所のみの水没だけで済み大きな被害に繋がるような事はありませんでしたが、そんなのはたまたまだと思っています。

そして、これもたまたま私はその時帰省していたので、家族と一緒に過ごす事が出来ました。

もしその日帰省していなかったら、海の町に住む両親の事が心配でいてもたってもいられなかったと思います。

あの日、偶然にも実家にいられた事はラッキーだったと思っています。

 

離れた場所でもあれだけの恐怖を感じたのだから、東北の人達の恐怖は計り知れないものだったと思います。

そんな事を私がいくら言った所で何も意味を持たない事も理解しています。

海沿いが水没したとは言え、離れた所にいる者が言葉だけで表せられるようなものではないと。

 

 

私はその数年後に、胆振東部地震で震度6を経験しています。

ブラックアウト・長時間の停電、物資不足、仕事にも行けず大変な時間を過ごしました。

震災は、憎い相手ですがぶつけどころもなくて、何も出来ないのがもどかしいです。

根絶する術なんてないんでしょうね…

いつの日か遠い遠い未来、自然災害を止める為の技術がこの世に生まれれば…なんておかしな事を考えてしまう時があります。

 

 

3.11の時、ユニットSky Blueで悩んだ末に公開を決めた曲がありました。

これも偶然なんですが、ちょうどそのドンピシャの時期に新曲を発表する予定があり、その曲はこれもまた偶然、応援ソングでした。

当事者達にとって、音楽なんてその時に何か力になれるのかと言ったら現実的な話何の力もなく、それどころか耳障りだ迷惑だと感じられてしまう可能性だって大いにあるものだと私は思います。

それでもやっぱり、だからと言って何もせずにはいられないという事で話がまとまって、震災の2日後にその曲を公開する事に。

個人的には、希望を込めた事は間違いないですが、今はどのように受け止められても仕方ないと思いました。

そして、それを承知の上で公開しました。

今は無理でも、いつの日か希望を持って前に進めるように。

 

綺麗事なんて百も承知で、実際何かの役に立ったのかなんて私にはわかりませんし、それを知る為に行動していたわけでもありません。

ただひたすら、今がとにかく少しでも良くなれと、少しでも前を向いてほしいと、願わずにはいられない自分がいた事が事実でした。

それは心からの思い。

 

ここは世界から見たら豆粒のような小さな島国で、離れているようでも、本当は国民全員が狭い狭い陸地に身を寄せ合って生きている一つの小さなチームだと私は思っています。

 

無名のユニットに大きな力はありませんが、何か小さな事でも行動する事は、何もしないよりは何かが変わる可能性が0.1%でも上がるから…

小さな小さな一つのチームに希望の風が吹きますように。

そんな思いを持ち、思い切って公開に至った。

そういう背景があります。

 

 

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