Blue Sky Music

制作した音楽作品のご紹介やら雑談やら

音楽活動史①【吹奏楽部】

作品のご紹介ばかりでも面白味がないと思うので…

私がこれまで生きてきた中で実際に体験してきた音楽関連の活動について書いてみようと思います😊

 

 

今回は、吹奏楽について。

 

 

自己紹介の時にもちらっと書きましたが、私は高校時代の3年間、吹奏楽部に所属していました。

入部のきっかけは色々な出来事の重なり合いなのですが、一番大きかったのは、私の高1の時の担任の先生がちょうど吹奏楽部顧問だった事だと思います😊

先生はホームルームやら何やらで事あるごとに「部員募集」とお話されていました。その理由も後から知る事となるのですが…

 

 

うちの高校の当時の吹奏楽部は、部員数のとても少ない小さな部活でした。

ただ部員の人達はみんな仲が良く、人数は少ないけれどもとても雰囲気の良い温かな部活だなと言う印象を入部初日から感じた事を覚えています😊

 

私はまずホルンと言う楽器を担当する事になりました。

単純に「ホルンパートがいないので是非やってほしい」と先輩から言われて。

ホルンパートがいないって事は、教えてくれる人がいないって事で…

マウスピース(吹き口の部分)の吹き方だけ金管パートの先輩に教わって、あとは基本的に独学で覚えてほしいと…

 

完全初心者として始めた私でしたが、いきなり大き過ぎる試練にぶち当たる事に😱

実は私はこの時、楽譜も全く読めない子でした💦

「♩」が何ていう名前なのか、どのくらい伸ばす音なのかも知らず😅

音楽は実は苦手教科で、中学時代のテストは毎回赤点ギリギリ(じゃあなんで吹奏楽部入ったのって感じですが🤣🤣)

 

楽器の音を出せるようになるまでには数日かかり、

合奏では自分が何をすれば良いのかわからずいつもフリーズしていて、

「出来ないなら合奏に出てくるな!」と先生から怒られ…

個人練習室で1人、あまりの出来なさに悔しくて泣きながら練習したり…

パートの先輩もいないので誰も頼れず…

 

精神的にギリギリの崖っぷちの毎日だったというのが当時の本音です😅

 

ただ、不思議な事に「部活を辞めたい」と思った事は一回も、ほんの1ミリもありませんでした。

「出来ない、辛い、悔しい」というマイナスの気持ちに支配されているのは事実なんですが、それよりも私は「楽器を吹く事が楽しい」という気持ちの方が強くなっていました。

 

 

辛うじて楽譜どおりの事が出来るようになると、更にその楽しさが増していき、私はどんどんホルンの、吹奏楽の魅力にハマっていきました😁

元々とても不器用で適応能力も低く、何をやってもうまくいかない事の方が多かった私でしたが、この時に「やればできる」という事を実感したのだと思います。

少し自信を持つ事が出来たんだろうな、というのを今でも何となく覚えています😊

 

その後学校祭やコンクール、高文連、町の吹奏楽祭など、校内校外様々なステージでの演奏を経験させてもらいました。

ヘタクソに変わりはなかったのですが、こんな私なりにも少しずつ少しずつうまく吹けるようになって…

 

高2の秋まで私はホルンを吹き続け、そこからは部員数の関係でトランペットに移籍する事になりました。

 

ホルンと言う楽器は、私もだいぶ後から知ったのですが世界一難しい金管楽器としてギネスにも登録されているのだそうです😱

そんな凄い楽器をやっていた事で私の肺活量は自分でも知らないうちに爆上がりしていたようで、初めてトランペットを吹いた時、突き抜けるような勢いで音が飛び出していったので大変驚きました💦

ホルンじゃない楽器ってこんなにも軽いのか(楽器の重さじゃなくて音を出す感覚)と、ちょっと衝撃的だった事を覚えています😅

 

トランペットへの移籍と同時に私は、副部長を務める事に。

先生が不在時の演奏でタクトを振る、学生指揮というものも担当する事になりました。

 

この当時は特に何も思っていなかったけれど、今振り返ると、楽譜も全く読めず怒られたり泣いたりしていた頼りなかった自分が、副部長だの学生指揮だのって…一体何の間違いなのかと思います💦🤣

 

トランペットは本当に楽で(あくまでホルン出身の私個人の意見です)楽譜の読み方も含めて何の苦もなくすぐに対応できました。

ただ、目立つのがとにかく恥ずかしかったですが💦

 

 

うちの部はその昔は部員も多く栄えており定期演奏会なんかも開催していたそうなのですが、ある時から部員数が減ってしまい、私が入学する前年まで長い間廃部同然の状態となっていたそうです。

後に知ったのですが、私は部の再建から2年目の部員だったそうです。

この時はとにかく部員集めの時期だったそうで(自分の事に必死だった私にはそんな事情なんて知る由もありませんでしたが😅)、先生が「部員募集」と毎日のように言っていた理由も納得できました。

 

私が高3になった時に、それまでずっと休止していた定期演奏会を復活させる事に成功しました。

定演復活は、17年ぶりだったそうです。

そんなわけで、当時は地元の吹奏楽界隈でもそれなりに話題になりました🤣新聞社が取材に来ていたりとか…

 

定演が出来るくらいまでには部全体としても成長していましたが、当時でもまだまだ部員数は少なく、一番小さな「C編成」の部類。

こじんまりとした演奏会ではありましたが、たくさんの方々に支えられて大成功に終わることが出来ました😄

部長と2人で司会をやったのも良い思い出です。私は緊張でガチガチでしたが😅

 

その定演で私は引退となりました。

ちなみに私の学年の部員は、私を含めてたったの4人しかいませんでした。

再建初年のメンバーを除けば最少の学年だったと思います。

 

 

母校吹奏楽部は今現在かなり大きな部に成長し、レベルも当時からは比べ物にならないほど爆上がりしたようです。

私達の代が復活させた定演も、コロナ禍を除いては途切れる事なく継続されているようです。

発展し軌道に乗る為の、私達が土台作りの学年だったのかなと考えると大変誇らしい気持ちになります😊

 

 

ゼロというよりもむしろマイナスからのスタートだった私ですが、今思い返すと3年間で結構しっかりと成長していたんだなぁと実感します。別に自画自賛をするわけでも何でもないんですが。

この吹奏楽部での経験と言うのは今まで生きてきた中でもかなり大きな出来事で、今現在の自分を成り立たせている要素の大半を占めていると思っています😊

 

高校を卒業し、それからの自分にとって音楽が最大の趣味・人生の中での最大の彩りとなっていくんですが、吹奏楽でホルンやトランペットを演奏した事、様々な楽器の音色に触れた事や3年間で得た知識が、今の私の大きな大きな土台となっています。

 

私の中では、顧問の先生の存在が本当に大きく。

今この記事には書いていない部分でも、音楽的にも、そして人間的にも大きく成長させて下さったと思っています😄

 

 

昨年秋頃、先生とFacebookで何十年ぶりに再会する事ができまして。

多数の高校にお勤めで、多数の生徒さんと関わっているはずなのに、こんな私の事なんかを先生ははっきりと覚えていて下さって。

感動でボロ泣きでした😭

ありったけの感謝の気持ちを、遥かな時間を経て伝えさせて頂く事ができました。

先生とは今でも交流が続いていて、夢のようで不思議な感覚です笑

 

 

 

すっかりと長くなりました💦もう終わりますね🤣🤣

 

そのうちに、また別の音楽関連の活動についての経験も書いていこうと思います。

その時は、こんな長くならないようにしないとですね😅