ピッチの話
私は父親の影響で、子供の頃から敏感な耳をしているという事を以前にも書きました。
何に対して敏感なのかと具体的に言うと、主に「ピッチ」です。
こちらのブログをご覧の方なら、私がわざわざ書かなくても既にご存知の方も多いのかもしれませんが…
「ピッチ」は物凄く簡単に言うと音程みたいなものですが、厳密には音程という言葉の意味とは違って、一つの音の中での、音の高さのふり幅と言えば良いのでしょうか。
単位は「セント」(cent)。
例えば、ドとド#の間は100セント離れています。
ざっくり言って、一つの音の中には100通りの違った音程が存在するんだと思えば良いのかなと。
私の耳は、1セントの違いにも気づくくらいには敏感で神経質でした。
他の人には「何が違うの?」と言われるけれど、私には不協和音に聞こえてしまってしょうがない…そう言う場面がよくありました。
今はそこまで厳密な感覚があるのかどうなのか、正直よくわかりません。もう現役を離れてかなり経っているし、そういう力を役立てられるような場面や経験がない生活になってしまったので…
細かい話ですが、ボカロ曲を作る時にボーカルのピッチが合っていない事には多々気づきます。
でも、著しい部分以外はあえて直していません。
なぜかというと、私の環境ではピッチ調整が完全手作業のアナログなものなので(他のボカロは使った事がないのでどうなのか知りませんが…)全てをきっちり合わせるとなるとかなり面倒だから🤣🤣🤣
ただ、私が今使っているボカロさんは逆にそこが強みかなとも思います。
むしろそれが出来るお陰で、声の抑揚だったりリアルさを表現できるので…
まさに私が求めていた部分でした。
ボカロみたいな歌い方だと散々言われ続けてきた私が言うのはおかしいかもしれませんが🤣🤣🤣
元々生まれ持ったものなのか、幼少期に鍛え上げられたものなのかは自分自身もわからないのですが…
ピッチの違いがすぐにわかるという謎の力が役に立ったのは、高校時代の吹奏楽部とアカペラグループでの活動でした。
部活では自分の出す音のピッチが少しでもズレてきたら、先生から指摘が入る前に自分で勝手にチューニング管を抜き差しして調整していました。
少しでもズレていると不協和音に聞こえてしまって、気持ち悪くて耐えられなくなってしまうので💦
アカペラ活動では、この謎の力を生かして、練習の進行係をやっていました。
メンバーのピッチがズレていると、高いだの低いだのとしつこく指摘をしていたので、うるさいなぁと思われていたかもしれません🤣🤣
いや、メンバーは心の広い優しい人達の集まりだったので、そんな事はないかな…笑
ないと思いたいですが、私が嫌われ役になってでもいいから、グループとしての質を上げていく為にそういう他の人が気づかない部分を指摘し補って行きたい、と思っていました。
メンバーも、1人はそういう人がいた方が良いと、活動を始めて間もない頃に話していました。
彼女達は本当に最後までこんな奴によく付き合ってくれたなぁと思います💦
絶対音感のある人が、日常の中で耳にするあらゆる音が音階として聞こえて気持ち悪い、みたいな話を聞いた事がありますが…
その気持ちは、絶対音感のない私にも何となく理解できます。さぞかし気持ち悪いんだろうなと言う想像は容易にできます🤣
ちょっと違うけれど、気持ち悪さを感じると言う点では、感覚として少し似ているのかな?と…
私の場合は、ちょっとでもピッチのズレた音を聞くと「うわっやめて!」という感じで耳を塞ぎたくなります💦
そんな感じなので、ネットで音楽活動をしたり、他の方が作られた音楽を聴く時にもまず気になってしまうのがピッチの事ばかりでした。
それこそ、SB崩壊事件(私が所属していたユニットSky Blueの活動を、私がとある過ちを起こしてストップさせてしまった2014年の出来事です💦)の時も、制作中の曲のドラムパーツのピッチについてうるさく騒ぎ立てた記憶があります…😅
音楽をやる上で大切な事の一つではありますが、あまりにも私はピッチについて神経質過ぎる音楽ライフを送ってきたなと言う自覚があります。
自分の持ってしまった感覚、性質上仕方ないという部分も勿論あるとは思うんですが…
もう少し柔軟になれていたら、アカペラも、SkyBlueも、何かが少し違ったかもしれないなと思います。
その力を持って育った事を若い頃の私はずっと良かったと思っていましたが…
今は正直、よくわからないというのが本音です😅
私の場合、謎の自信や拘りという別になくても良いオプションもくっついてしまっていたので…
その力もオプションも決して悪い事ではないと思うけれど、どちらももう少し上手く使えれば良かったですね。
若い頃の自分は未熟で不器用だったな、という結論です💦