Blue Sky Music

制作した音楽作品のご紹介やら雑談やら

飛行船を追いかけていた頃

今日は、基本的に音楽とは無関係なんですが完全に無関係というわけでもないお話をします。

 

 

いつかの記事でもちらっと書いたんですが、私は飛行船が好きです。

おかしいという程ではないにしろあまり一般的でもない、ちょっとマニアックな趣味かなぁと自覚しています。

 

 

 

飛行船と言うと、一昔前というイメージの方が強いかと思います。

最近では本当に見なくなりましたよね。

それもそのはずで、2024年現在の日本には、パイロットが乗って操縦する有人飛行船の存在はゼロです。

 

直近だと2022年の春頃に約2ヶ月間だけ、有人飛行船が日本の空を飛んでいた時期がありました。

「新スーパードライ号」という飛行船。

昭和の時代にも飛んでいた、アサヒのスーパードライ号という飛行船の現代版です。

LOOK UP! JAPAN #空飛ぶスーパードライ情報局 | SUPER DRY CHANNEL - スーパードライチャンネル

 

 

そしてその前は、2016年いっぱいまで、スヌーピーの大きな絵が描かれた飛行船「スヌーピーJ号」が存在していました。

2010年だか2011年だったか…辺りから運航されていたはずです。

このスヌーピーJ号は、1年をかけて日本全国を縦断していました。

なので、もしかしたら見たことがあるという方もいらっしゃるかもしれませんね。

(写真は私が2015年に北海道で撮影したものです)

 

 

 

私は子供の頃から飛行船が大好きでした。

子供の頃、実家の上空に突然現れた飛行船(Konica)を見て衝撃を受けてから、大好きになりました。

 

2011年に札幌で初めてスヌーピーJ号を目にし、その翌年辺りから、私は本格的に飛行船の「追っかけ」を始めました。

と言っても全国とかじゃなく、私の住む北海道に飛行船が滞在している期間のみですが。

北海道の滞在期間は、毎年春〜夏にかけて。

約2ヶ月程度、長いと3ヶ月程の年もあったように記憶しています。

 

私は飛行船がこちらに滞在している期間中、仕事が休みの日は全て飛行船鑑賞に出掛け、行ける日は仕事終わりに係留地まで行って飛行船を見学したりも頻繁にしていました。

それくらい大好きでした。

 

北海道には飛行船の整備を行う為の施設があり、毎年夏にそこで耐空検査(車で言う車検のようなもの)が実施されていました。

十勝にある大樹町という町に、その巨大な格納庫があります。

札幌からは高速道路を使って約3時間前後くらいでしょうか。

私は大樹町へも頻繁に足を運んでは、十勝の空を飛ぶ飛行船を見ていました。

飛行船を見る為なら、高速代も時間もいくらかけても惜しくなく、睡眠時間もいくらでも削ってどこまでも追いかけていました。

離陸、空を飛ぶ姿、着陸、その後の係留地での様子と、24時間昼夜を問わず本当にいつでも。

 

飛行船愛を語ったり写真を色々と載せて行くと、私の場合本当にキリがないので…これ以上はあまり詳細な事を書くのは控えようと思います😅本当に恐ろしいくらい止まらなくなるので…

とにかく、そのくらい飛行船が大好きで大好きで、異常なくらい飛行船が大好きでした。

 

 

私が作曲活動を始めたのが、ちょうどスヌーピーJ号を見始めたのと同じくらいの頃。

その思いを形にしてみたくて、2013年に「飛行船を追いかけて」という曲を作りました。

www.nicovideo.jp

 

 

その翌年、スヌーピーJ号は船体のデザインチェンジがあり、そのタイミングに合わせて「飛行船を追いかけて-2014-」という新バージョンを作りました。

www.nicovideo.jp

 

 

さらにその翌年2015年辺りの事だったか…

この「飛行船を追いかけて」という曲を、実際にスヌーピーJ号のスタッフ(クルー)の方や、パイロットの方が聴いて下さっているというお話を聞きました。

それは私にとってはあまりにも予想外で衝撃的でした。

制作中は不思議と「クルーさんがいつかこの曲を聴いてくれますように」等と思った事って一切なくて、元々そういった事を想定したり願って作っていたわけではありませんでした。

というか、それは私にとってはあまりにも現実離れしている事過ぎて一切頭になかったと言うか…全く考えた事がありませんでした😅

まさかクルーさんやパイロットさんに届いているとは想像もしておらず…

 

普段私は係留地へ行ってもクルーの方には必要がない限り近づく事はなかったのですが、その時ばかりはお礼を伝えたくて、係留地へ行った時にクルーの方に

「『飛行船を追いかけて』を作った、パッチと申します」

と話しかけました。

クルーさんは大変歓迎して下さいました。

パイロットや他のクルーにも聴かせていますよ、と教えて下さって。

飛行船グッズをくれて、記念写真も撮影させてくれました。ここには載せませんが😅

 

後日…というか正確に言うとさらに翌年の事だったかもしれませんが(もう記憶がだいぶ曖昧です😅)係留地で、今度はパイロットさんにお会いする事が出来ました。

パイロットさんからは

「あなたにお会いしたかった」

と言われ、大感動でした。

本当に「飛行船を追いかけて」を作って良かったと強く強く心から思いました。

そもそもは私があまりにも好き過ぎて勝手に作っただけのものでしたが、こんな形でクルーさんやパイロットさんに曲が届いて、直接メッセージを受け止める事が出来る、そんな経験はごく普通に生きていたら絶対に出来ることではなかったと思います。

 

クルーは外国人さんも数名いらっしゃいましたが、「飛行船を追いかけて」を聴いて大変喜んで下さっていました。

日本語の歌詞が全て理解できているのかはわかりませんが…そんな事はこの際関係ないって思いましたね🤣

私も英語を話す事は出来ないんですが、簡単な英単語とジェスチャーでいくらでもコミュニケーションは取る事が出来ました。

 

 

私が大好きな音楽で大好きな飛行船の曲を作り、それが本物の飛行船にしっかりと届いていた。

音楽も飛行船も、私にこの上ない素晴らしい経験をさせてくれたと思っています。

 

 

日本での飛行船の活動は終了し、今現在クルーさんやパイロットさん達はどこで何をしていらっしゃるのか…

どうかお元気で過ごされていてほしいと心から願っています。

そして、いつの日かまた日本の空を飛行船が飛んでくれる事をいつまでも夢見ています。

 

youtu.be

 

Sky Blue/Melody

 

実は、一週差で卒業ソングをもう1つ公開していました。

 

youtu.be

 

「Melody」

作詞:パッチ

作曲:Sky Blue

編曲:パッチ

 

 

「Melody」は2011年2月に公開された、Sky Blue(SB)の第5作目の曲でした。

この曲は私にとって、SBの中でもちょっと特別な1曲です。

当時私は専門学校生で3月に卒業を控えていたのですが、その時のクラスメイト全員と担任の先生にサプライズでCDとしてプレゼントした曲でした。

(専門学校生と言っても社会人経験をしてからの入学だったので既におばさんでしたけど🤣)

 

コンポーザーの龍徹さんから元々新曲候補として頂いていたデータがいくつかあり、その中の一つがこれでした。

普段SBの新曲を私が先行して決めるという事はなかったのですが、クラスメイト達に是非プレゼントしたいという事で龍徹さんにお願いし、作らせて頂いた形です。

「作曲:Sky Blue」としていますが、私が作曲したのは大サビの部分のみなので、実質99%くらいは龍徹さんの作曲です🤣

「作曲:龍徹」でも良いくらい。でもそれだと真実ではなくなってしまうので…😅

 

SBの全曲中2曲を私が作詞しているのですが、「Melody」はそのひとつになります。

この時の私はまだ作詞経験がほとんどなくて、完全なる初回ではないのですがほぼ初挑戦みたいなものでした。

卒業ソングにありがちな、ありきたりなワードばかりが並んでいて、今振り返ってみると未熟さを強く実感します💦

序盤に「レンガ色のキャンパス」という歌詞がありますが、これは現実とリンクさせていて、当時通っていた学校の校舎が全面レンガ造りでした。動画にも反映させている部分です。

 

 

先日、こういう記事↓を書いておいてなんなのですが…

patchskyblue1.hatenablog.com

 

今回の音源に関しては、2011年当時のものからいくつかの変更点を加えたリアレンジを行っています。

2011年の音源も私が編曲を行っており、アレンジ面に関しては龍徹さんの手は一切加わっていませんでした。

その事が今回のリアレンジに至った大きな決断要素です。

直接的な理由としては、過去の自分のアレンジを、今の私がどう越える事が出来るのかを試してみたかった、というのが大きいです。

 

ボーカルだけは、2011年の制作当時にレコーディングしたテイクを使用しています。

歌唱だけは当時の思いがそのまま込められたものを使用したくて、オケのリアレンジはしましたが再レコーディングはしませんでした。

過去のまだ未熟なボーカルとしての私を、さらに大人になった今の私がアレンジ面でサポートしたというような感じでしょうか。

 

 

動画はMV的なものをイメージして作りました。

「さよならなんて言えないよ」は無人の校舎というイメージに沿った内容にしましたが、こちらはがらりと変えてSBの2人にたくさん出演してもらった感じです😁

白いレンガ壁に黒板がドーンとある空間というのも何だか謎過ぎるんですが🤣

余談ですが、黒板に書かれている文字は私が書きました。

環境の問題なのかわかりませんが、ペンタブで文字を書くって、思った方向に線が全然進んでくれなくてとっても難しいんですよね💦

実際の筆跡とはちょっと異なる感じがします。

 

今回はサムネも個別に作ったものです。

最初は無難に例の白い教室内のイラストにしていたのですが、ひとつくらいとにかく明るい雰囲気のものが欲しいなぁと思って全て描き変えました😄←こういう顔とかの。

それにしても、すぐ隣に並ぶと身長差が凄いですね笑

以前にも書きましたが、SBの動画では2人の身長を実際の数値に合わせた比率で作っています(ジャケ写制作の際に龍徹さんに身長を聞いてから、何となくいつも合わせるようになりました)

身長差は24cmくらいなんですが、実際に並んだらこんなに違うのか…と自分のチビさにビックリします😲

 

(サムネ↓)

 

 

この曲に関しては何より、当時私の希望を快く受け入れて下さった龍徹さんに心から感謝しています。

私がやろうと思う事は絶対に否定せず応援してくれ、尚且ついつも叶えてくれる龍徹さんは、やっぱりスゴイ人だなぁと思わずにはいられません。

彼の優しさがなかったら間違いなく生まれてはいなかった曲でした。

 

 

今回公開した「Melody」は、音源も動画も実質「さよならなんて言えないよ」よりも手を掛けている部分が多くある感じなんですが、込めている思いの熱量は変わらないつもりです。

それはSBの曲全てに言える事です。

 

シーズンもあって一気に2曲更新しましたが、まだまだこれからもSB楽曲のご紹介は今後も続けて行きます。

またこちらでもお知らせさせて頂きますね😊

 

歌声を維持する

 

2017年辺りから、私の「歌」に関する環境はどんどんと変化していきました。

 

所属していたアカペラグループは活動が難しくなり、現在は無期限休止中。

2009年から続いたユニットSky Blueは実質1年前に活動終了。

4年ほど前から私は、生活環境の変化によって歌が容易に出来ない状況に置かれています。

そこにさらに加齢が重なり、長期ブランクもあって、例え今歌う事が出来たとしても以前のようにうまくはいかない事が容易に想像できます😅

というか、うまくいきません💦ホントに。

 

私にとってそれまで当たり前にあった「歌う」という事

 

それが一気に離れて行ってしまい、今に至っています。

もちろん環境上仕方ない事です。

 

何の取り柄もない私にとってとても貴重な「歌」という長年培ってきた力は、出来ればこれからも衰えさせたくないなぁと言うのが本音です(いやもう衰えてるんですけど🤣🤣)

私は、本気でやりたい事は無理やりにでも時間や機会を作ってやりに行くタイプの人間なのですが、今はそれも許されない状況。

だから、本当に歌声を出せる機会というのが、生活の中で皆無に等しい感じです。

例えるなら、大人数でカラオケに行って、歌う気満々なのに待っても待っても自分の順番が回って来なくて歌わせてもらえない。

そういう気持ちに近いかもしれません。

待っているマイクが、数年回ってこない…そんな感じ。

 

「継続は力なり」という言葉がありますが、Sky Blueのラストソングを制作していた2022年の秋冬頃に、その言葉の意味を痛いくらい実感していました。

というか、「継続しなければ力は失われる」と言った方が当時の私にとっては正しいかな。

ブランクって本当に恐ろしいです。

あんなにも歌えなくなるものかと…

 

 

まだわかりませんが、今年以降もしかすると少しずつまた歌の機会作りが出来るチャンスが増える可能性もあって、そうなれる事を信じている所です。

もしそうなったら、昔の感覚を取り戻す為に基礎の基礎からやり直したいと思っています。

特に誰にも望まれている事ではないんですが😅

 

この先さらに年を重ねて、どう声が変化していくのかという事も私としては気になっている部分です。

この1年くらいの間でなんですが、私は一気に声の質が変わったという事を自分で強く感じます。

年を重ねて老けたというよりは、声が太く低くなった感じ。

普段の話し声は元々どちらかというと低い方なんですが、さらに磨きがかかったような気がします😅

歌声はなるべく老けたくないなぁと思うけど、どうしたって加齢には敵わないのでしょうね💦

Sky Blueなどの歌声が他の方にどう聞こえているのか私にはわからないのですが、想像されるよりは実物はもっともっとおばさんです🤣🤣

 

 

歌に限らずですが、どんな事も維持していく為にはとにかく少しでも良いから続ける事が大事ですね。

これからやってくる近い未来が、私にとって良いチャンスとなってくれるよう願うばかりです。

 

 

 

 

実は元オタクでした

 

自分が音楽というものに深くのめり込んだのはいつ頃の事だったかと思い返していたのですが…

 

実は私は、小学校〜中3にかけて、コテコテのアニメ&声優オタクでした🤣

現代ではその世界はすっかり認知されて、オタクと言っても「あぁ、そうなんだね」程度だとは思いますが…

私のハマっていた頃はまだ全く世間に認知されておらず、風当たりも強く、なかなか理解されにくい時代でした。

今でもそういった風潮が全くないわけでもないのかもしれませんが、私の時は非にならないくらいの悲惨レベルでした💦たまたまかもしれませんが。

 

アニメって主題歌があったりキャラソンがあったりして、音楽は作品にとって切っても切れない存在ですよね。

私は当時キャラソンというものにかなりどハマりした記憶があります。

「このキャラクターってこのキャラクターが喋ってるんじゃなくて、現実に喋ってる人がいるんだ!!」という事実を知った時の衝撃がとても強く、声優さんという存在に大きな憧れを抱くようになったのがおそらく小学校低学年くらい。

声優さんがキャラクターの声で歌っているアニメのキャラソンのアルバムは、当時の私にとってはダンジョンの最深部で見つけた財宝のようなものでした🤣

大好きなアニメのサントラやキャラソンのアルバムはいくつも持っていました。

 

思えば、私にとってはそこが音楽に深くのめり込んだ最初だったんじゃないかなと。

小学校高学年くらいからはJ-POPも聴くようになったんですが、やっぱり1番はアニメ関連の音楽でした。

 

そして小6だか中1の頃に、とある声優さんの大ファンになりました。

出演されているアニメは全チェックし、親にお願いしてファンクラブにも入らせてもらう程のハマりよう。

ラジオ大阪で番組も持たれていて、絶対に聴きたかった私はほぼ雑音しか聴こえないその番組を週一で早起きしてまで聴くように(こちらは北海道なので、ほぼ雑音だとしても辛うじて聴けていたのが奇跡だと感じます笑)

今思い出したけど、その番組にハガキを送って2枚ほど読まれた事がありましたね🤣🤣

 

その方は歌の活動にかなり力を入れられており、キャラソンとか関係なくご自身のアルバムもたくさん出されていまして。

全国ツアーのライブもかなり積極的にされていて、今考えるとスゴイ人だったんだなぁと思います。

本業、声優さんなのに…

もちろん私は、ファンでいた間は地元での公演には全て参加しました。

 

その方のファンになった事は、音楽に対する私の中の情熱を一気に燃え上がらせた事に大きく繋がったと思います。

カラオケに行ってもその人の歌やアニソンばかり歌っていましたね。

 

アニオタ・声優オタという事で周りから理解されずちょっと距離を置かれるような事も多かったですが、幸いな事に小5から同じクラスだった友人にも私と同じようにアニオタの子が数名おり、身近に理解者は何人かいたので楽しく過ごせました。

 

高校に入ってからは部活一筋の日々になっていったので、自然とアニメも見なくなり、声優さんへの熱も段々と冷めて行き、ファンクラブの更新もしなくなりました。

そこからは、以前の自分が嘘だったかのようにアニメからも声優さんからも完全に離れてしまいました。

今の時代にこそあの頃のように燃え上がっていたら、もっとオタクとして過ごしやすい日々を送れていたのではないかなぁ…と想像したりします😅

残念な事に本当に今は、過去の自分がウソのように興味がなくなってしまいました。

元オタクなのでもちろん嫌いではないし、現代のオタクさん達の気持ちもとてもよく理解ができるつもりではいるんですが。

アニメって楽しいよね、声優さんってすごいよね。

そういう事を話す時のワクワク感は、今でもしっかりと記憶に残っています。

 

そして時々、本当に数年に一回とか、急に好きになるアニメ作品が今でもあったりします。

私が大人になり、完全にオタクを離れてからハマった作品のひとつが「けいおん!」でした。

身近な人達からの勧めで見たのですが、自分でもビックリするくらい、死ぬほどハマりました🤣

あれは大人になってから見たからこそハマれた作品だと思います。

軽音部のストーリーという事で歌もたくさんあり、全曲ではないかもしれませんがほとんどの音源を持っています。

 

 

音楽の話というよりは、アニメと声優さんの話になってしまいましたが…😅

音楽にハマったルーツは実はアニソンや声優さんの曲にあった…という振り返りでした。

 

 

清き1再生!笑

私の所属ユニットSky Blue(SB)の「さよならなんて言えないよ」を聴いてくださった方がこちらのブログにももしいらっしゃいましたら、どうもありがとうございました😊

 

youtu.be

 

当チャンネルの動画の中では、かなりのペースで再生して頂けています。

と言っても他の投稿者様とは比べ物にならないような、本当に小さな小さな数字ですが。

ネットの片隅でひっそりひっそりとやっている私にとっては、十分過ぎるくらいの大きな数字です😊

SBの楽曲に関しては、どこかの誰かにほんの少しでも触れて、知って頂けたら…という思いでやっていますので…

極端過ぎる話、1再生だけだったとしてもとても嬉しい事なんです。

ありがとうございます!

 

今回の動画がきっかけとなってなのか、詳細はわかりませんが、SBの他の曲もアクセスが少しずつ増えており有り難い限りです。

それぞれの曲達に込められた作り手の思いを、何かしら少しだけでも感じて頂く事が出来ていたら幸いです。

 

 

「さよならなんて言えないよ」は、とても純粋でまっすぐな曲だと感じます。

SBの曲の中では、最も人の心の中に自然にスッと入り込んでいく事のできる力を持っていると、個人的には思っています。

だからこそ、実際に小学校の卒業式でも合唱して頂く事が出来たのではないかなと。

 

15年も前の、世の中のほとんどの人が知らないこの曲を、ネット世界の中では一粒の砂よりも小さいであろう私と言う人間がひっそりと発信した事で、ごくごくほんの一部の人に、15年の時を経て新たな曲として聴いて頂ける。

不思議でとても貴重な機会だと思っています。

だから、たったの1再生だったとしてもとても嬉しいと心から思います。

 

広い広いネットの中でこのたった一つの動画を見つけ、尚且つ再生して下さった方がいらっしゃるなら、本当にどうもありがとうございました😊

 

 

リアレンジについての思い

 

過去に制作した曲を、数年経ってからリアレンジするという事が時折あります。

 

リアレンジを行う理由はいくつかあると思います。

「今の自分だったらこう作るなぁ」

「最初に作ったやつはグダグダだから、単純に作り直したい」

「全く違った演奏形態で新たに作り変えてみたい」

私の場合はそんな所が多い気がします。

 

昨年から音楽チャンネルを立ち上げて、Sky Blue(SB)の楽曲紹介をやり始めてから、思う事があって。

一言で言うなら、

「自分変わったなぁ」という事でした。

 

以前の私は、異常なまでに音色の選定に拘る所があり、フリーでやってはいるのですがその範囲内でも最大限のリアルさを常に追求していました。

SBの曲も、私自身が作ったオリジナル曲も、初期に作ったものはやはり今よりはオケの音色が古いし、軽いんですよね。

それはそういった環境下でやっているのだから勿論の事で、私自身も理解の上でやっていた事なのでそれ自体は特に問題ではないんですが。

 

問題はその後、私の音周りの環境が変化し、少しだけグレードアップしてからの事。

極端な話、私はそれまでに制作してきた全ての曲を新たな環境でリアレンジしたいという事を考えるようになりました。SBも、自作曲も。

さすがに全曲を…というのは無理な話なので実行に移してはいませんが、途端に、それまで作ってきた数々の曲達に物足りなさを強く感じてしまうようになり。

新たな環境下でそう感じてしまうのはごく自然な事なのかもしれませんが、あの頃の私は表面上のものしか見えておらず、制作時に曲に込められた思い等の背景について考えられる程大人じゃなかったと感じます。

 

過去曲のリアレンジまではしていませんが、SBの後半数曲は、実は私が音色の選定を行っています。

あえて悪い言い方をすれば、それは「私の我儘で」でした。

 

これまでのSB関連の記事を読んで下さっている方がもしいらっしゃるなら、私と言う人間はどれだけ嫌な奴なんだろうと思われてしまいそうですね💦💦💦

まぁ私の表現の仕方もあると思うのですが。

あえて悪く言っています😅その方が、より理解して頂きやすいと思うので。

 

リアルさばかり追求していた頃の私は本当に大切なものを見失っており、その事は、直接的な原因ではないにしろSBを一度崩壊させてしまった理由に少なからず繋がっている部分だと思います。

先日も書いた事ですが、例えどんなに古い音源で作られていようとも、その時の作者の思いはその音の中だけに生きている、と今の私は考えます。

 

 

だからこそ先日公開した「さよならなんて言えないよ」も、当時の音源をそのまま使用しました。

 

youtu.be

 

 

実際の所SB楽曲のリアレンジについては、コンポーザーの龍徹さんから許可が出ている状態です。

と言っても私からお願いしたわけではなく、龍徹さんの方からそのように言って下さった事でした。必要があればどうぞ、と。

私の活動の幅ややりやすさを考えて下さっての事だと思いますし、それ自体は大変有り難い事です。

ただ、SBの楽曲に関しては、私は極力リアレンジをしない方向でのご紹介を今後も考えています。

以前までの私だったらもしかすると、「じゃあ喜んで!」と全曲リアレンジをして公開していたのかもしれません。

それを想像すると、今の私はかなりゾッとします。

 

別にリアレンジが過去を否定するものだとは全く思いませんし、それは一つの表現方法であり完成形なので、何も悪い事ではないと思います。

私も、ちゃんとした意味のあるリアレンジは今後も行っていくつもりです。

 

例えば私のチャンネルで公開しているSBの「遠い夏、大地蹴って」という曲は、吹奏楽アレンジにし原曲からは大幅にサウンドを変更した音源になっています。

これは龍徹さんのチャンネルで初めて公式音源が公開された事に合わせ、私がシナリオを考え二次創作的に作成したものでした。詳細は動画説明欄に載せています。

 

youtu.be

 

 

「希望の風」という曲もリアレンジしたものですが、「龍徹さんがこのアレンジを気に入ってくれた」という理由からあえてこのバージョンのまま公開しています笑

それがなければ間違いなく原曲どおり公開していたと思います。

元々はお遊びで作り、X限定で公開していたものでした。

 

youtu.be

 

 

理由のないリアレンジはもう必要ないな、って今の私は思います。

ただ単純に「以前のバージョンが気に入らない」という思いだけで作り直してしまう事は、出来れば避けたいと思います。

音楽に大切な事を、今は私なりに学び理解をしたつもりでいるので。

 

こんな考え方を、以前までの私は一切出来ませんでした。

今は本当に変わったなと思います。

後悔とかではありませんが、もっと早いうちにこの考え方が出来ていたら、SBが途中で活動不能になる事もなかったのかもしれません。

 

考え方は人により様々でしょうし、どれが正しい答えっていうのはもしかしたらないのかもしれません。

「以前のものが気に入らないからリアレンジをする」という事が悪い事だとも全く思わないし、それはそれで十分な意味のある理由だと思います。

ただ、今の私は、SBが過去に信念を持って仕上げた音源の形を変えたくない…という思いの方が強いです。

例えどんなに古い音源でも、ヘタクソなボーカルだとしても。

 

なので、SBに関しては今後も基本的には過去に作り上げたものをそのままの形でご紹介していくつもりです。

理由あってリアレンジをするものも勿論あるとは思いますが、最優先に考えるのはやっぱり「その時の作者の思い」それが第一だと私は思っています😊

 

 

音楽が仕事に生かされた時

自己紹介の記事にも書いていたと思うので言いますが、私は介護福祉士の資格を持っており、2019年まで高齢者施設で働いていました。

 

私がいたのは所謂老人ホームと言われる生活の場としての施設とはちょっと違い、高齢者様が通いで利用される「通所リハビリ」という所でした。

通所のスタッフは、何よりも「元気」が売り。

通所での1日を楽しみに通われる利用者様の為に常に楽しい催しを考え、生活への潤いをご提供するという事を日々大事にしていました。

 

 

通所に入職した時の私は、音楽活動を始めて数年経っていました。

新人職員紹介で何か一つ特技的なものを披露しなくてはならなくなり、私は当時やっていたアカペラを披露する事に。

と言っても私以外のメンバーはその場にはいない状態なので、事前にリード以外のパートを自分で多重録音したCDを用意して、それを流した上でリードを歌うという事を行いました。

あまりにも個性的過ぎる、前例なんか絶対にないであろうその演出には、ご利用者様も、先輩職員の方々も大変喜んで下さって、自画自賛をするわけでは全くないのですがあれは大成功だったと言って良いと思います😂

 

以降、私は仕事上で音楽関連の演出が必要な場合に、歌唱を始め、様々な音源提供を行う事となっていきました。

高齢者施設でそんな事を…と思われるかもしれないのですが、通所という所は意外とアクティブなんですよね。

もちろん施設ごとに差はあると思いますが、私が勤めていた通所は、色々な意味で大胆でゴージャスな感じでした🤣

ご利用者様に楽しんで頂く為に月に2回ほどのペースでイベントも行っており、様々なゲスト様をお迎えしてはライブステージなどを披露して頂いたり、施設主体でスタッフが作り上げる温かなイベントなどもありました。

そういった場で、私のちょっと変わった音楽関連の趣味はうまく生かしてもらえていました。

 

イベントで歌を歌ってほしいという依頼はよくあり、その他に、施設のエライ人からの指示で、各イベントごとのオリジナルイメージソングを数曲制作したりもしました。

例えば、夏祭りとか、スポーツ系イベントとか…

イベント前の数日間と当日に館内BGMとしてその曲をひたすら流して盛り上げる、という形です。

もちろん私がボーカルを入れているので、私の歌声が館内にひたすら流れると言う、公開処刑的な状況😱

他の人は特に何も考えていなかったと思いますが、私は正直仕事どころじゃなく常に心がザワついていました🤣🤣

 

ただ、ご利用者様達は私が曲を作るたびに本当に喜んで下さっていて。

その姿を見る事、自分の作ったもので皆さんが笑顔になってくれたという事実は素直に嬉しい事でした。

「この歌、あんたが歌ってるんだってねぇ、すごいねぇ☺️」

「ちゃんと歌詞の中に◯◯◯(施設の名前)って入ってるんだねぇ」

「これを聴くと元気になれるよ😃」

等と、たくさんの高齢者さんから声をかけて頂き、私の方が元気になれましたね。

まだまだ知識も薄くてたいした曲は作れませんでしたが、ご利用者様達の喜びの姿が私にとっては全ての答えでした。

 

また、私が組んでいたアカペラグループが施設のイベントに出演させて頂いた事も何度かあります。

コンシェルジュの方からのご依頼で、年に1〜2回程のペースで出させて頂いていました。

ライブとして人前で披露する事を常に目標として活動していた私達のグループにとっても、1時間というイベントの枠を丸々頂ける事は大変貴重でありがたい機会でもありました。

ご利用者様も、普段見慣れたケアワーカーが、制服を脱いで髪も下ろして、仲間とステージに立って歌っているいつもと違った姿を見て、相当珍しかったようでしたね。

嬉しそうに、温かな笑顔でステージを見守って下さって、時に一緒に歌って下さって、楽しいイベントの時間を共に作って下さいました。

 

 

これらは全て、私が音楽という趣味を持っていたから実現され形となった出来事。

まさか仕事に色々な形で趣味が生かされるとは、全く想像もしておらず…

私自身にとっても、これらの事は間違いなくスキルアップの機会に繋がっていたと思います。

最初の新人紹介でアカペラをやっておいたのが良かったなぁと思います。あれで完全に掴んだ感じでした🤣

 

「好きな事を仕事に」という考え方は私はしないタイプなのですが、結果的に好きな事が仕事にも役立ってくれた、という展開になってくれた事はとてもラッキーだったと思っています☺️

 

好きな事をやると、心も体も生き生きとする。

私自身、元々強く思っていた事です。

私が通所で働く道を選んだのは、同じ体験を高齢者様にもご提供したかったからでした。

この事は、介護福祉士の勉強をしていた学生時代から論文などにも必ず書くくらい、個人的に大切にしてきた考えです。

 

それを普段からのケアの中、そして私の音楽という趣味によって少しでも実現出来ていたらいいなぁと思う、元通所ケアワーカーのなっっっがい独り言でした🤣🤣🤣