Blue Sky Music

制作した音楽作品のご紹介やら雑談やら

Sky Blue/さよならなんて言えないよ

 

公開しました😊

こちらのブログ開設後、初のSky Blue動画になります。

 

 

【Sky Blue】

私が所属していた、ネット上限定の音楽ユニットです。

龍徹(composer)/パッチ(vocal)

 

 

youtu.be

 

 

「さよならなんて言えないよ」

作詞:誠

作曲・編曲:龍徹

 

 

この曲は、2009年に発表された私達Sky Blue(SB)の第1作目、デビュー作という事になります。

龍徹さんから「ボーカルを入れて欲しい」と最初にメッセージを頂いた、全ての始まりの曲がこれでした。

世間はそろそろ卒業シーズンなので、卒業ソングであるこの曲をご紹介しようと思い、この動画を制作しました。

 

SBにはいくつか卒業ソングがありますが、その中でもこの曲は個人的には「誰もいない静かな校舎」というイメージがあります。

卒業式が終わり、生徒も先生も去って、たくさんの思い出達だけが残る、誰もいない校舎。

そんなイメージです。

作者である龍徹さんの意図しているものとはもしかしたら異なるのかもわかりませんが、私は初めて聴いた時からそういうイメージを持っていました。

なので、今回私が作成した動画には、これまでのようなSBの人物イラストをあえてほとんど使用していません。

中途半端にせず、全てを無人にした方がスマートだったかもしれませんね😅

 

 

動画説明欄にもありますが、この動画には2009年当時の音源をそのまま使用しています。

当時、私はまさに歌の活動をやり始めた駆け出しの頃。

龍徹さんは既に音楽活動をされていましたが、使用されている音色などからも制作の環境が今現在とは全く違う事がわかります。

 

私にとって、人生で初めてのオリジナル曲だった「さよならなんて言えないよ」

この世で他の誰も歌っていない曲をどう歌ったら良いのか全くわからなくて、全てが手探り状態でした。

心を込めたつもりである事は事実ですが、この時の自分の歌声からは戸惑いと緊張の方が強く感じられます💦

以前の記事でピッチがどうのとか散々言ってきたくせにこの曲は全編通してピッチはメチャクチャ、声の揺れはビブラートではなく単純に緊張で震えているだけ。

「歌っている」というよりは「歌に振り回されている」感じです😅

 

良く言えば、初々しく、

悪く言えば、痛々しいですね😱

過小評価でも謙遜でもなくて、現実をそのまま述べているだけです。

 

ただ、こんなに言ってもあえて当時の音源をそのまま使用したのは、ちゃんとした意味があっての事です。

私自身が、当時初めてユニットとして作り上げた最初の作品の形を変えたくなかったからです。

リアレンジはいくらでもできますが、当時の思いはそのサウンドの中にしか生きていないものなので…

それを変えてまで「もっと良い形」に仕上げたいとは、私はどうしても思えませんでした。

どんなに歌唱レベルが低くても、サウンドが古いままのものだとしても、これがあの時の私達にとっての完成形なんですよね。

聴く側にとっては、わからない、どうでも良い部分の話にはなってしまうと思うのですが…

つまらない拘りなのかもしれませんが、プレイヤーの立場として、制作者側のその時の思いは絶対に大事にしたい!って私は思います。

 

 

当時この曲への反応は私個人の想像していたものよりも遥かに良くて、アクセスも多く、たくさんの方から「良かった」と言って頂く事ができました。

全ては龍徹さんの作られたサウンドのお陰、音楽の力、そして詩に込められた思いによるものだと今でも私は強く思っています。

誰もの心にスッと入り込み、響き渡る曲を作れる事、本当に尊敬します。

SBというユニットのスタートとして、大成功だったと言っても良いのではないかと私は思っています(自分の歌声の出来については置いておくとして、ですが😅)

 

 

それにしても、2009年って事は今から15年も前なんですね。

私にとっては、この曲を歌った時の事は割とこの前のような気さえするんですが💦

15年も前とあって歌声もやっぱりかなり若く、技術はアレですが、若さ故のハリがまだ感じられる声だなと思いました。

人の声も年を重ねるとどんどん変わっていくものなのだなぁと、こういう趣味を持っているからこそ強く実感しますね😅

自分がまだ若かった頃の歌声をこうしていくつも残しておけた事は、単純に良かったなぁと思っていたりします。生き生きと好きな事を楽しんでいた時のリアルな歌声は、写真やムービーなんかとはちょっと違った特別な形の思い出になると思うので。

 

 

この「さよならなんて言えないよ」は、とある小学校さんの卒業式でも合唱として歌って頂いた事がありました。

あの時の卒業生さん達はお元気にされているだろうかと、たまに思い出す事があります(私は特に面識とかはないんですけど😅)

世間はこれから卒業シーズン本番ですね。

学生と言う時間は人生の中でもとても特別なもの。

今年卒業される皆さんが、最後の一瞬まで是非楽しい学校生活を送られますように。

 

 



“14年”

【Sky Blue】

私が所属していた、ネット上限定の音楽ユニットです。

龍徹(Composer)/パッチ(Vocal)

 

Sky Blue

 

 

龍徹さんのチャンネルの方にSBの全曲紹介動画が公開されているので、このブログでもご紹介してみたいと思います😄

これまでに制作してきた全12曲の部分メドレーと言う感じで、短時間で全てがわかる内容になっているなと思います😊

私がひとつひとつチマチマと説明しなくてもこれでいいじゃん!と思いました😅

まぁこれだけでは全貌はわからないですが、このブログでご紹介するには最適な動画のような気がします。

 

youtu.be

 

 

この動画↑が公開された時点でまだ未発表曲だった「遠い夏、大地蹴って」や、前記事でエピソードに触れた唯一の未発表曲「どこまでも」もご紹介されていました。

 

こちらのブログでは、現段階では私のチャンネルで公開済みの4曲のみご紹介してきましたが、まだまだ先があるという事です🤣

あとの8曲も、必ずご紹介させて頂くつもりでいます。それぞれに龍徹さんの大切な思いが込められていますので。

 

2009年に結成し2023年まで活動していたので、単純に考えて14年と言う期間、SBとしていられたのかと考えるととても不思議な気持ちです。

ただブランクがあるので、制作活動を行っていたのは実質そのうちの5、6年くらいにはなるんですが。

今ではそのブランクも含めて全ての時間が、私にとって最後までSBボーカルでいる為に必要なものだったのかもしれないと思います。

ブランクの原因となっている理由、出来事については、ここをいつもご覧下さる方なら知っているかもしれませんが、人として決して許される行為ではありませんでしたから…

自戒も込めて私はあえて「14年」と思っています。

 

patchskyblue1.hatenablog.com

 

こんな事をまた書いてしまうとまだ過去を引きずっているのかと思われそうですが、いつかの記事でも書いたとおりで今はもうそういった思いとはお別れすることが出来ました。

だからこそ、YouTubeチャンネルやこのブログで、SB関連の活動を地道に行っているという状況です。

 

“14年”の間に制作してきた12曲は、私も1曲1曲に思い出があって、上記動画を見るとそれぞれの曲の制作中の事を思い出します。

それは自分以外、世の中の誰1人として知る事のないものだけれど、全てが今の私に繋がっている大切な時間だったように思います。

 

また、動画中で流れる1曲ごとのフレーズはそれぞれがかなり短いものになっていますが、そのどれを聴いても「やっぱり自分は未熟だな」と感じてしまいます💦

SBとして過ごしてきた私は、完全なる駆け出しから始まって、ゆっくりゆっくりと経験を積み重ね、本当に緩やかにスローペースで階段を上っていったような形でした。

どの歌声も本当に不器用で未熟で頼りなく、聴いていてゾワゾワするのですが、間違いなく言えるのは全てに確かな思いを込めて歌ったと言う事です。

 

初めて知り合った頃の龍徹さんもまだ学生さんでとてもお若く、私よりもだいぶ年下なのですが、随分としっかりされた方だなぁと感じました。

大変、大変素晴らしい音楽を多数作られていて、とてもお若いしこれは本当に将来有望な選手だなと…

こんな何の取り柄もない何も出来ないおばさんである私が、この才能に満ち溢れ生き生きとした若者と一緒に音楽をやらせてもらう事は犯罪じゃないんだろうか?と不安にもなりましたが…😅

龍徹さんは、こんなレベルの低いボーカルしかできない私にも本当に良くして下さって。

そこから始まっていった時間は私にとって、かけがえのないものとなっていきました。

 

個人的には、龍徹さんの作られた上記の動画はそういった思い出達が頭の中を一気に巡るものにもなっています。

 

 

 

ついでに…

明日辺り、私のチャンネルの方でSBの曲をひとつ、公開する予定です。

このブログを開設して初めて公開する、SBの楽曲の動画になります。

夜もしくはその翌日になってしまうと思うのですが、公開しましたらこちらでもご紹介させて頂きますので、良かったら覗きに来て頂けると嬉しいです😊

 

 

未発表曲エピソード

いつもご覧下さる方はご存知かもしれませんが、このブログの裏目的(という名の本目的)としては、私の所属ユニット「Sky Blue」(SB)の音楽に1人でも多くの方に触れて頂く為、というものですが…

これでも一応、ちょっとセーブしていたりします😅

というのは、知らないユニットの話ばかりし続けていても、読んで下さる方は何だかよくわからなくて楽しめないと思うから(もうネタがあまりないっていうのもありますけど🤣)

 

…なんですが、これまでのアクセスを見るとSBについて書いた記事の時は見てくれている方が意外と多くて……

とても嬉しい事です😂

受け入れて下さっている方は私が想像しているよりもいらっしゃるのかも……?と思ったりして…

それを信じて、今日もSBの話をしてみようかと思います🤣🤣

 

 

何それ?という方もいらっしゃるかもしれないので改めて一応ご紹介しますが…

「Sky Blue」は、私がコンポーザーの龍徹さんと組んでいたネット上限定の音楽ユニットになります。

 

Sky Blue



 

SBが制作してきた曲は全部で12曲ありますが、実際に公開されているのは11曲です。

未発表のままとなっている曲が、実はひとつだけあります。

でもそれは紛れもなく確かに存在しているSBの曲で、全12曲のタイトルが歌詞に散りばめられているラストソング「SKY BLUE」の中にもちゃんと組み込まれているものです。

 

私は、その1曲がなぜ未発表のままになっているのかの理由を、あまりにも昔のこと過ぎて覚えていなかったんですが…😅

割と最近になってから、龍徹さんとその話になりました。

 

その未発表曲は結婚ソングです。

元々はもちろん新曲として公開する前提でいたのですが、その曲を制作していた当時に、ちょうど私の仲の良い友人が結婚する事になりました。

そこで私が、

「友人の為に、その曲をオリジナルアレンジにしてプレゼントしたい」

という事を龍徹さんに相談しまして。

龍徹さんも快く承諾して下さり、(←ここまでは覚えていました)

「その曲はその人の為の特別な曲という形にし、SBの新曲として公開する事を控えよう」

という流れになりました。

 

なりました、と言うか、その流れとなっていた事を私はすっかり忘れ去ってしまっていました🤣

しかも自分から言った事がきっかけだったのに…💦💦💦

 

 

忘れていたくせにこんな事を言うのはおかしいかもしれないのですが、このエピソードは、SBメンバーの立場としてはとても誇らしいものだと私は思いました。

といっても私自身は特に何もしてはいないんですけど。

公開を決めて動いていたはずの楽曲を非公開にしてまで、特定の人に贈る曲とする決断の出来る龍徹さんは、スゴイ人だなと思います。

まさにこれがSBの在り方だったのだなぁと…

 

結果的に、あえて悪い言葉を使えばSBの新曲としての公開を阻止してしまったのは私の我儘、という事にはなるんですが。

ただ、当時の私の「特別なものを友達にあげたい」という思いは決して悪いものだとは思わないし、龍徹さんもSBにとって損になる事・意思に背くものと判断していたらあの決断はしていなかったと私は思っています。

友人にプレゼントしようが何をしようが、SBの新曲として公開する事はいくらでも出来たと思うので。

それでも非公開としたあの決断には、龍徹さんなりの優しさや考えがあっての事だったはず。

なので、この曲に関しては「私のせいで公開できなくなってしまった」という気持ちにはなっていません。

そこは、もうひとつの長年の未発表曲だった「遠い夏、大地蹴って」と大きく違う点です。

 

「遠い夏、大地蹴って」について↓

https://patchskyblue1.hatenablog.com/entry/2024/01/11/165650

 

 

その結婚ソングは、元々龍徹さんから頂いていたデータのものから私がリアレンジを行い、ボーカルも新たにレコーディングし、この世に一つしかない形にしてその友人にプレゼントさせてもらいました。

ドン引きされるだろうか……と緊張しましたが、大変喜んでくれたのでよかったです😅

 

YouTubeで昨年からSBの曲達を私なりにご紹介するという活動をし始め、やはり全曲ご紹介するという所を最終目標としているので、もちろんこの結婚ソングもいずれはご紹介出来たら良いな、と考えている所です。

未発表にしている意味がないじゃないかと思われそうですが、実は曲自体は龍徹さんのチャンネルの方でも既に公開されていました(SB名義ではありませんが)

という事に加えて、私が友人に贈ったものはSBとして公開を予定していたアレンジとは異なるものになります。

私が自分のチャンネルで公開する時も、SBのオリジナルとしてではなく、このチャンネル仕様としてご紹介させて頂く形を考えています。

もしも正式なSB名義で公開する時がいつか来るのだとしたらそれは、私ではなく龍徹さんのチャンネルで、ちゃんとした形で…と私は思っているので。

そしてそういう日が来るのか来ないのかは私にはわからないし、一生未発表のままでもいいとも思うし、いつか公開される事があっても良いとも思っています。

 

 

元々龍徹さんから頂いていたオケに私が仮でボーカルを入れたサンプル的な音源が残っているので、サビの試聴のみ貼り付けておきます。

どうやら2012年に作成したものらしく、歌声がかなり若いです🤣オケの音源も昔の音色という感じですね。サンプルなのでボーカルのMIXも適当です。

多少調整はしていますが、念の為音量に注意して下さい。

 

 

リズムの話

リズムの大切さを最初に学んだのは、高校時代の吹奏楽部の時でした。

音を奏でる上でとても重要な要素である事は、パーカッショニストでもあった顧問の先生からみっちりと叩き込まれました。

 

リズムに関しては、個人練習ではメトロノームを必ず使う事、合奏では楽譜にかじりつかずに指揮をしっかり見る・周りの音をよく聴く、という事を先生は毎日のように仰っていました。

リズムに人一倍厳しかった先生の元で育てた事には本当に感謝していて、未来に取り組む事になるアカペラだったり、ネットでの歌活動にも本当に大きく生かされたと思っています。

 

ネット上で音楽をやるようになり、学習の為に他の歌い手さんの歌を聴かせて頂く機会も多く持ちました。

時には「演奏してみた」を聴く事もありました。

そういう中で、音楽を聴いた時に

「あ、この人歌が上手いな」

「楽器がとても上手だな」

と、自分の中の感覚がキャッチする瞬間があるのですが、それを感じる上での大きな土台となっているのが、私はピッチとか音程よりもリズムだと考えています。

本当かどうかはわかりません。あくまで私個人の意見なので、音楽理論的な視点から言うともしかしたら違うのかもしれませんが…

歌や楽器の音のピッチが合っていたとしても、リズムがズレてしまっていると決してうまいという印象を受けないように私は感じます。

 

リズムキープに大切なのは、やはり先生も仰っていたとおりの事だと今でも思っているし、実行しています。

吹奏楽やオーケストラ等でない限りは指揮者はいませんので、視覚的にというのはムリですが……例えば歌なら、自分が歌う事にだけ集中するのではなくオケにもしっかりと耳を傾けるとか。

言葉で書くとごく当たり前の事に感じるんですが、これってとても重要で、かつ難しい事なんですよね。

意外と、出来ていない方は多い印象です(なんか生意気な発言のようですみません🙇どっから目線なんでしょう💦)

 

とは言えちゃんと最初から最後まで完全に正確なリズムをキープするっていうのは、機械じゃないので限界はあると思います。

私はネットではボーカルしかやってきていないので歌基準でのお話になってしまいますが、ライブなどではなく一つの音源として作成するのであれば、ボーカルのタイミング調整はかなり重要な作業の一つだと思っています。

オケに対して拍子のズレたボーカルと言うのは、それだけでせっかくの魅力を減点させてしまうと思うので…

ボカロ曲の時も、私はこのタイミングの確認は隅々まで行います。ボカロなので自動的にほぼきっちり合ってはいますが、発音などの関係でズレが生じている部分がどうしても出てくるので…

うまく仕上げられているかはまた別ですけど😅私も人間なので、散々言ってる割にはズレてんじゃん!と思われる所もあるかもしれませんけどね🤣

ピッチ補正もタイミング調整も、なるべくしないで済むならそんな良い事はないとは思いますが、一つの作品として仕上げるのでしたら手を抜くべきではない部分だと個人的には考えています😊特にリズムは…

 

逆にライブなら、やはりしっかりと周囲の音に耳を傾ける事が大切なのかなと思います。

いずれにしても、歌でも楽器でも、自分が演奏する事だけに集中というのはNGなのかなと。

私自身も、具体的に何をどうすればリズム感が鍛えられるのかはよくわからないので大きな事は言えないんですが……歌をやる上で自分自身が必ず気を付けている事としては、そこが一番大きいです。

オケの音をよく聴き、落ち着いて歌うという事。

 

練習の際、メトロノームがあるのでしたら一番良いとは思いますが。

私の経験談ですが、アカペラの練習の時に光が左右に移動する電子メトロノームを使用していた事があるのですが、あれはあまりおススメは出来ないなと思いました😅

理由としては、光の残像に感覚が惑わされるから、です。

メンバー全員、同意見でした🤣

人によるとは思いますので絶対にダメとは言えませんが……個人的にはおススメはしませんね。

 

 

前回はピッチについてでしたが、今回はリズムについての私なりの考えを書いてみました。

あくまで全て個人の意見という事を強くお伝えしておきます😅

 

ピッチの話

私は父親の影響で、子供の頃から敏感な耳をしているという事を以前にも書きました。

 

何に対して敏感なのかと具体的に言うと、主に「ピッチ」です。

 

こちらのブログをご覧の方なら、私がわざわざ書かなくても既にご存知の方も多いのかもしれませんが…

「ピッチ」は物凄く簡単に言うと音程みたいなものですが、厳密には音程という言葉の意味とは違って、一つの音の中での、音の高さのふり幅と言えば良いのでしょうか。

単位は「セント」(cent)。

例えば、ドとド#の間は100セント離れています。

ざっくり言って、一つの音の中には100通りの違った音程が存在するんだと思えば良いのかなと。

 

私の耳は、1セントの違いにも気づくくらいには敏感で神経質でした。

他の人には「何が違うの?」と言われるけれど、私には不協和音に聞こえてしまってしょうがない…そう言う場面がよくありました。

今はそこまで厳密な感覚があるのかどうなのか、正直よくわかりません。もう現役を離れてかなり経っているし、そういう力を役立てられるような場面や経験がない生活になってしまったので…

 

細かい話ですが、ボカロ曲を作る時にボーカルのピッチが合っていない事には多々気づきます。

でも、著しい部分以外はあえて直していません。

なぜかというと、私の環境ではピッチ調整が完全手作業のアナログなものなので(他のボカロは使った事がないのでどうなのか知りませんが…)全てをきっちり合わせるとなるとかなり面倒だから🤣🤣🤣

ただ、私が今使っているボカロさんは逆にそこが強みかなとも思います。

むしろそれが出来るお陰で、声の抑揚だったりリアルさを表現できるので…

まさに私が求めていた部分でした。

ボカロみたいな歌い方だと散々言われ続けてきた私が言うのはおかしいかもしれませんが🤣🤣🤣

 

元々生まれ持ったものなのか、幼少期に鍛え上げられたものなのかは自分自身もわからないのですが…

ピッチの違いがすぐにわかるという謎の力が役に立ったのは、高校時代の吹奏楽部とアカペラグループでの活動でした。

部活では自分の出す音のピッチが少しでもズレてきたら、先生から指摘が入る前に自分で勝手にチューニング管を抜き差しして調整していました。

少しでもズレていると不協和音に聞こえてしまって、気持ち悪くて耐えられなくなってしまうので💦

 

アカペラ活動では、この謎の力を生かして、練習の進行係をやっていました。

メンバーのピッチがズレていると、高いだの低いだのとしつこく指摘をしていたので、うるさいなぁと思われていたかもしれません🤣🤣

いや、メンバーは心の広い優しい人達の集まりだったので、そんな事はないかな…笑

ないと思いたいですが、私が嫌われ役になってでもいいから、グループとしての質を上げていく為にそういう他の人が気づかない部分を指摘し補って行きたい、と思っていました。

メンバーも、1人はそういう人がいた方が良いと、活動を始めて間もない頃に話していました。

彼女達は本当に最後までこんな奴によく付き合ってくれたなぁと思います💦

 

絶対音感のある人が、日常の中で耳にするあらゆる音が音階として聞こえて気持ち悪い、みたいな話を聞いた事がありますが…

その気持ちは、絶対音感のない私にも何となく理解できます。さぞかし気持ち悪いんだろうなと言う想像は容易にできます🤣

ちょっと違うけれど、気持ち悪さを感じると言う点では、感覚として少し似ているのかな?と…

私の場合は、ちょっとでもピッチのズレた音を聞くと「うわっやめて!」という感じで耳を塞ぎたくなります💦

 

そんな感じなので、ネットで音楽活動をしたり、他の方が作られた音楽を聴く時にもまず気になってしまうのがピッチの事ばかりでした。

それこそ、SB崩壊事件(私が所属していたユニットSky Blueの活動を、私がとある過ちを起こしてストップさせてしまった2014年の出来事です💦)の時も、制作中の曲のドラムパーツのピッチについてうるさく騒ぎ立てた記憶があります…😅

 

音楽をやる上で大切な事の一つではありますが、あまりにも私はピッチについて神経質過ぎる音楽ライフを送ってきたなと言う自覚があります。

自分の持ってしまった感覚、性質上仕方ないという部分も勿論あるとは思うんですが…

もう少し柔軟になれていたら、アカペラも、SkyBlueも、何かが少し違ったかもしれないなと思います。

 

 

その力を持って育った事を若い頃の私はずっと良かったと思っていましたが…

今は正直、よくわからないというのが本音です😅

私の場合、謎の自信や拘りという別になくても良いオプションもくっついてしまっていたので…

 

その力もオプションも決して悪い事ではないと思うけれど、どちらももう少し上手く使えれば良かったですね。

若い頃の自分は未熟で不器用だったな、という結論です💦

 

 

 

好きなアーティストさん②

久しぶりのお話なんですけれど…

以前にも一度書いた、好きなアーティストさんについての、その2をやっていきます。

 

patchskyblue1.hatenablog.com

 

以前には90年代Being系アーティストさんが好きというお話をメインでしていたんですが、私には特別取り上げておきたいアーティストさんがあと2組いらっしゃいます。

その方々はBeing関係ないんですけど。

 

 

まず、1組目は…

知っている方はもしかするとあまり多くないかもしれませんが、Favorite Blueという男女2人組のユニットさんです。

avexのアーティストさんですね。

現在はもう活動を終了されています。

 

私自身は高校の時にこのユニットさんを初めて知りました。

クラスの友人からもらったカセットテープだかMDだかにFBの曲が入っていて、それでどハマりし、それから自分でCDを買い集めました。

シングルは無理でしたがアルバムはおそらく全部持っているし、発表されている曲は全曲知っています。

avexのアーティストさんなんて元々全く聴かなくて、そういうジャンルにハマるなんて自分でもビックリでした💦

ボーカルの松崎麻矢さんの歌声がとても特徴的で、それまで全く違う方向を向いていた私の心が凄い勢いでガッと引き寄せられる感覚に陥りましたね🤣

 

それまでにも曲を耳にした事はあったんですけどね。

「Change by me」「Missing Place」などはCMでもよく流れていたし。

何がきっかけでハマるかなんてよくわからないものです😅

 

youtu.be

youtu.be

 

 

私のYouTubeチャンネルには一応自己歌唱用のカテゴリも設けているのですが、そこに今の所唯一公開しているのが、FBの「さよならより永遠の中で」という曲のカバーです。

FBの中で1、2を争うくらい好きな曲です😁

 

youtu.be

 

密かに「FBいつか復活しないかな…」と、ずっと思いながら生きていたりします😅

 

 

 

そして、もう1人。

自己紹介の時にもちらっと書いた気がしますが、私は村下孝蔵さんが好きです。

だいぶ一気に路線が変わりますが😅

それこそ、なんで急にそんなシブい所にハマったのか!?と自分でも驚きではあったんですが。

 

村下さんは正直私は全然世代ではなくて、私の両親の世代がドンピシャという感じです😅(確か私の父は村下さんと同学年だったはず)

親が昔よく聴いていた「初恋」を自分も耳にしてまぁ何となく知っていた、というくらい。

 

きっかけとしては、たまたま別のアーティストさんが「初恋」をカバーされているのを聴いた機会があったのですが、その時に、

村下孝蔵さんご本人のも聴いてみようかな」

と、本当に何となく思って、そして本当に軽い気持ちで聴いてみたら…

「何この声………………!!!!」

と、その歌声の素晴らしさに大感動した、という感じ🤣

それまでにも聴いた事はあったはずなんですが、改めてじっくり聴いたこの時の私は、彼の歌声の素晴らしさに気付けるくらいの大人になっていたという事なのでしょうか😅

 

そうして、またここから色々とCDを買い漁りました🤣🤣

曲数が多くて全ては持っていませんが、シングルとして発表されているものは一応全て音源は手元にあるかな…

彼の歌声は国宝だと思っています😁

なぜ「初恋」くらいしか大きなヒット曲がないのかが不思議です。

「踊り子」や、アニメの主題歌だった「陽だまり」なども有名だとは思いますが、その他にももっと世の中の人達が知った方が良い名曲が多数あるのになぁと個人的には思います。

 

こんな話をすると完全に私の年齢がバレてしまうと思いますが、村下さんがお亡くなりになったのが私が高校生の時でした。

その頃の私は例のとおりで部活に打ち込みまくっていて他の事はほぼ目に入ってなかったので、そういうニュースがあった事も全然知らなくて💦

私が彼の存在をしっかりと認識した時には、すでにもう故人というイメージでした。

「日本の名曲」みたいな番組の中でいつも出てくる「初恋」を歌っている、もう亡くなってしまっている歌手の人。

そういうイメージしかなくて。

世代だって違うんだからそんなもんだよなぁとは思うんですが、こんなにも彼の魅力に気づいた今、もう彼のコンサートに行く事も出来ないのかと思うととても残念ですよね😢

 

村下さんは歌声もそうなんですが、ギターのテクニックが凄すぎです。

一度生で見て・聴いてみたかった…

 

youtu.be

 

↑こんなお店あったら毎日通いますけどね🤣🤣🤣

他の芸能人さんもみんな若くてなんかニヤニヤしちゃいました🤣

全然関係ないんですけど、周先生の歌声が最高でした🤣🤣

 

夜もヒッパレ」なんかは私もリアタイでよく見ていたので、気づかないうちに絶対村下さんの事も見ていたんだと思うんですが…全く覚えていないですね💦

 

何年遅れなのかわかりませんが…

自分が死ぬ前に村下さんの魅力に気づけて本当に良かったと心から思います。

両親も、自分達の青春時代のアーティストを娘が好きになったという事にかなり喜んでいましたね🤣

 

 

…という、今回はすごい組み合わせの2アーティストさんのご紹介(?)でした。

 

世代も、ジャンルも問わず、「良いものは良い!」ということですね🤣

 

 

好きだよと言えずに初恋はぁ

今週のお題「ほろ苦い思い出」

 

 

またこういうブログの趣旨と関係ない事をすると、読者さんが離れて行きそうですね…😅

そろそろネタも尽きてきた感があるので、たまには参加してみます😁

 

ほろ苦いのかどうかはわかりませんが…

バレンタインと言う事で、若かりし頃の初恋のお話でも。誰が聞きたいんでしょうねそんなの🤣

最初はほろ苦くないと思うけど、結果的にはほろ苦く、またちょっと予想外なオチもあるお話です(ちなみにバレンタイン関係ありません😅)

 

 

私は元々、恋愛事にはあまり興味のない人でした。

それなら趣味をやっている方がずっと楽しい!というタイプ。

 

そんな私が、初めて自分から人を好きになったのが中3の頃。

お相手の事は仮でS君と呼びます。

S君は同級生とかではなく、実は3つ年上。

ざっくりと言いますが、趣味のサークル的な場で知り合った人でした。

 

恋愛事に無関心だった私が何故S君を好きになったかというと、サークル活動の時に毎回さりげなく私の事を気にかけてくれる彼の優しさに惹かれた事がきっかけでした。

その趣味サークルは、フルメンバーだと10人前後くらいいたと思いますが、実は私以外の人は全員男性でした。しかも、全員年上。

最年少な上に女子1人という事で、S君はおそらく私が楽しく過ごせるように気遣ってくれていたのかなと思います。

 

ある時からS君は、集まりの帰りに私を家まで送ってくれるようになりました。彼の家は、私の家とは反対方向で距離もかなりあるのに。

申し訳ないと思いつつも、少しでも長く彼と過ごせる事が嬉しくて、家までの道のりを彼の隣でウキウキ気分で歩いていた事を思い出します🤣🤣

 

そしてある日の帰り道、家に着く直前に告白をされました。

まっすぐな彼の言葉がとても嬉しく、私もずっと好きだったという事を伝えました。

そうして私達はお付き合いをする事に。

人生で初めて自分から好きになった人と両思いになれた事、本当にラッキーだったと思っています。

おそらく、そういう人ってなかなかいないですよね…?よくわからないけれど💦

 

S君は3つ年上と言う事で当時高3でした。

お付き合いを始めたのは、確か10月くらいの事。

私は翌年高校受験を控えており、S君は春から札幌の学校に進学する事に。

でも、私はそこまで環境の変化については気にしておらず、お互いが好きでいられるなら今後もお付き合いは続けて行けると思っていました。

 

12月には人生で初めて男性と過ごすクリスマスを経験しましたが、今でも覚えているS君からのプレゼントは、彼がずっと愛用していたという「ミュータントタートルズ」のミケランジェロのキーホルダー。

今振り返ると、なんてかわいいプレゼントなんだろう…!と微笑ましいです😂

それプラス、S君が使っていたという受験のお守りもくれました。

どちらも彼の愛用品という事で、新たに買うものにはない特別さがあって心から嬉しかった事を覚えています。

その日から私はミケランジェロとお守りを肌身離さず持ち歩くようになりました。

 

S君は進学に向けてバイトを始め、私は受験勉強で忙しくなり、クリスマス後からはなかなか会えなくなっていきました。

当時はまだ携帯電話も普及しておらず、連絡といえば家の固定電話。

時々彼から電話が来てはいたのですが、それも次第に少なくなり…

サークル活動も、メンバーが大体みんなS君と同じ高3の人が多く、集まりもだんだんとなくなっていきました。

 

ある時共通の友人から、

「Sのバイト先に行ってきたよ。久々に会ったけど、髪とヒゲが伸びて別人みたいになってて、かなり疲れてる様子だったよ」

と、彼の今の様子を聞きました。

連絡を取りたかったけれど、忙しい中に電話をするのも気が引けた事と、自分も大切な時期に入っていたので、結局何も出来ず…

 

そして、私の高校受験日のちょっと前だったと思いますが、S君から久しぶりに連絡がありました。

「レコーディングエンジニアの勉強をする為に、札幌に引っ越すよ。遠距離になってしまうので、別れよう」

という内容でした。

私は正直嫌だったのですが、なかなか会えずに寂しい思いをお互いにするよりはそれぞれの場所で新たに良い人を見つけよう、という話をされ、最終的には私も同意しました。

それは彼なりの優しさだったと今ならわかりますが、先を見据えられる力のなかった当時の未熟な私には、悲しさしか残りませんでした。

ただ、彼の夢は応援したいと思い、気持ちをグッと抑えて引き下がりました。

 

その後私は高校に入学し、このブログでも何度か書いてきた吹奏楽部に入部する事に。

部活に打ち込む日々が始まり、次第にS君への思いもだんだんと薄れていきました。というか、必死過ぎてそれどころじゃなくなっていきましたね💦

驚くほどすんなりと、また元の恋愛事に興味のない私に戻っていました。

 

S君とのお付き合いの期間、私にとって人生初の本気の恋愛の時間は、約4ヶ月間でした。

今振り返ると信じられない程短いんですけど、もっと長く感じる濃い時間だったように思います。

今になっても、あの4ヶ月間は特別で大切な時間だったなと感じます。

短い間でも、特に何の魅力もない私なんかを好きになってくれたS君には本当に今でも感謝しています。

 

 

そしてこの話には、後日談があります。

 

私は高校を卒業した後、映像制作の勉強をする為に札幌の専門学校に進学しました。

入学した年の夏頃だったと思いますが、入学希望者対象の学校のパンフレットを目にする機会がありまして。

その中には、業界に就職した先輩達の写真がたくさん載っていたのですが…

その中に1人、見覚えのある人が。

なんと、S君でした😳

 

「レコーディングエンジニアになる」と言って札幌に引っ越して行った彼は、なんと私と同じ専門学校に進学していたそうです。

学科は4つあり、私は映像学科でしたが、彼は音響学科。

学科は違えど、知らないうちに私はS君の後輩になっていたようでした😅

ここに来るために私と別れたのか…………とは別に思いませんでしたが🤣、それよりもむしろ、不思議な縁を感じてしまいました。

おそらく彼は、私が同じ専門学校に入った事は知らないと思います。

 

しかも、専門学校卒業後の話になりますが、音響学科にいた友人が、仕事先でS君と一時一緒に働いていたという話を聞いて、またビックリでした😲

一緒だったと言う時期にそのことを知っていたら、もしかすると友人伝いにS君とコンタクトが取れたのかもしれませんね。まぁ取ったからといって特に何もないんですけど😅

「世間は狭い」を実感した出来事でした。

 

 

今回は、趣旨と関係ない上にとっても長くてしょうもない他人の初恋のお話でした。

「バレンタインスペシャル」だったとでも思ってもらって、大目に見て頂ければと思います🤣🤣🤣

 

 

最後に余談ですが、ミケランジェロは実は今も持っています😁ヘタしたらドン引きされるかもしれませんが。

未練とかじゃなくて、誰かが一度は心を込めてプレゼントしてくれたものを捨てる理由がないからですね。

変な意味じゃなく、私にとって、人生の中の大切なものの一つです。